4)月の化粧
再びハクの私室、湯婆婆の計らいで、既に二組の装束が届けられていた。
ややあって、ノックの音がし、扉を開けるとリンが立っていた。
「湯婆婆様の言いつけで参りましたー、ハク様ともう一人の着替えを手伝うようにとー」
敬語が板につかず、完全に棒読みになっている。
もちろんリンが敬語を使えないはずは無い。
ハクを敬っていないだけだ。
「無理して堅苦しい言葉で言わなくていいからとっとと入れ、リン」
「はいはい……っと、つーか、なんで俺なんだよ、ナメクジ女どもの仕事だろ?」
嫌々部屋に入ってきたリンは、千尋の姿を見て驚いた。
「えええっ!セン!お前センか!でっかくなったな!てか、何でここにいるんだよ?」
「あの……私……」
ハクは肩をすくめ、リンにこれまでのいきさつを説明した。
もちろん夜が明けてから千尋と共にここを出て行く計画については秘している。
リンは、
「なぁんだよー、俺の事も忘れちまったのかよー」
と、残念そうに言いつつも、
「まあ、いっか」
などとケロリとしている。
リンにとっては過去よりも出会ったこれからの方が意味があるとでも言いたげだ。
「なっ、なっ、じゃあ千尋の髪は俺が結うからな、あ……ハク……様はご自分で仕度できやがりますよね」
あからさまにおかしな言い様をしてリンは装束をひっつかみ千尋を連れて別室へ移った。
舞姫の衣装は華麗で、リンは口は悪いが手先も器用であるので、そんな彼女が腕によりをかけて着飾らせた千尋はどんなかと思うとハクの頬は緩むのだが、自分も同様に着飾らなくてはならないと思うとたいそう気が重かった。
乱暴に狩衣を脱ぎ捨て装束を纏うと案の定少し小さい。
鏡の中の自分のちぐはぐさにうんざりして、ハクはしぶしぶ魔法を使う事にした。
既に満月がほのぼのと浮かび、条件としては悪くない。
カーテンを開け、部屋の明かりを消すと、部屋の中は月明かりだけが射し込んでいる。
ハクが呪文を唱えると、少しだけ体が縮み、いかつかった体の線が柔らかくなっていく。
息を吸い込み、しばし止めると、月明かりの中、青年から女性に姿を転じたハクは、鏡の中の自分を見て深く深くため息をついたのだった……。
仕度を整えた千尋が戻ってきたのは、そのすぐ後の事だった。
「うわぁ、ハク様、キレイー」
ハクを見て無邪気に千尋が言う。
「千尋、私の事はハクでいい」
とろけそうな笑顔でハクが答える。
「へー、キレイじゃん、ハク」
もはや敬語を使う気などさらさらないリンが言う。
「リン、お前は私の事はハク様と呼べ」
苦虫を噛み潰したようにハクが答えた。
あまりの声のトーンの違いに千尋はおかしくなって笑いを堪え、リンはハクの言葉など意に介さずニヤニヤとその姿を眺めている。
「じゃあ俺は料理出しがあるから、またな、セン」
そう言い残してリンは持ち場に戻った。
傍目で見ると美女が二人、という構図になるのだが、内一人の中身は野獣(否、竜か)であり、ハクとしてはもはや美しく装った千尋を前に、辛抱たまらんという感じだが、この場で千尋を押し倒すわけにもいかなかった。
宴のスミで目立たぬように振舞っていれば一晩くらいはやり過ごせるかもしれない……という甘い考えで、ハクは千尋を連れて宴に向かった。
……もちろん、そんな考えはとてつもなく甘いのだが。
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即興にしては二人の舞はなかなかに様になっていた。
清楚で可憐な千尋と、凄烈で凛としたハクの対は際立って美しく、宴の者たちの目を奪う。
舞っている間は、酔客とも距離がとれる。
意に反して目立ってしまったが、このまま舞い続ければ世が明ける、ならば……!
しかしえてして邪魔は入るもの。
遠くで青蛙がハクに向かってブロックサインをしきりに送っている。
最初ハクはそれを無視し続けていたが、今にも泣き出しそうな青蛙の様子にたまりかねて、ひとさし終えた所でその場を離れた。
できれば千尋も連れてきたかったのだが、別の輪に連れ去られれて相舞を始めてしまっている。
「何の用だ、私は今日は舞姫なんだが……」
近寄ったハクの美しさに青蛙はしばし目を奪われ、そして我に返ったように声を絞り出した。
「ハク様ぁ……、ボイラーの調子が……」
「釜爺には言ったのか」
「ええ、とっくに……今調子を見に行っています、ただ……その」
「何だ」
「釜爺が、持ち場から離れたせいで薬湯が……」
「父役と兄役は?」
「それが、大広間の方で幹事の方が料理が違うとおっしゃいまして、そちらの対応に……」
「坊は?」
「先ほどボイラー室に向かわれました」
チッ!と、舌打ちして、千尋の方を見やる。
千尋を残して行くべきか……、いや、否。
断然否ッ!
「坊に伝えろ、すぐに行くからと」
青蛙に言うが早いか、ハクは軽やかな足取りで舞の中に加わる。三人舞いに加わっていた千尋と、他二人の舞い手は突然のハクの登場に驚いたが、すぐにリズムを取り戻し、四人の派手な舞が始まるか、に、見えた。
刹那、ハクは千尋の腕を取り、放り投げた。
あわてて体制を崩しそうになった千尋を横抱きにして、ハクはひらりとそこから飛び退った。
残った二人はあっけにとられたが、宴の客は派手な演出の一環かと思い、大いに盛り上がっている。
わきかえる広間を後にして、ハクと千尋はボイラー室に向かった。