耳をすませると、ゆっくりと近づく足音がする、否、それは「足音」ではない。床を引き摺るように、ずざざざっ、…少し置いてまた…。
鍵を開ける音がして、外の冷気が、進入してきた。火が入っているのは、この部屋のみ。冷気をまとって、闇の中に、光る、翡翠の相貌。
「また、泣いていたのだね」
闇色の狩衣から除く緋色と、艶やかな黒髪を束ねた、見た目だけは人間のような彼の姿は変わらず秀麗であったが、瞳はどこか残忍で、酷薄な笑みを浮かべている。
すたすたと近づいて、窓辺の千尋の顎を取り、顔を自分の方へ向けた。
「整えた衣装を着る気にもなれないと見える…」
千尋は、かたくなに視線を窓の外へむけたまま、彼の言葉に答えなかった。
「…くっ…」
舌打ちすると、彼…ハクは、苛立たしそうに、言い放った。
「何故だ、千尋、私は約束通り、逢いにきたというのに…!!」
千尋の瞳は虚ろで、ハクの姿はおろか、言葉さえ届いていないようだった。
「『あれ』は私の一部、二つに分かたれたものがまたひとつに戻っただけだ!何を嘆く、どうして私を見ない…っ!」
千尋の両腕を取り、そのまま寝台に押し倒した。
「千尋、私はここだ、私『達』はここにいる、私を見ろ…答えてくれ…頼むから…」
そのまま、覆い被さるように体を重ねる。千尋の体は、熱をもち、暖かいのに、ハクの体は冷たいままで、一瞬千尋はその冷たさに身じろぎをしたが、そのまま、窓の外の雪を眺めていた。
「ならば、私をここから出して」
無気力な声が、組み敷いた体から漏れる。
「それはできない」
ハクの言葉に、千尋の感情が堰を切って溢れ出す。
「いやああっ、出してっ!私をここから出してっ!!」
泣き叫ぶ千尋の唇を、ハクが自身の唇で塞ぐと、一度やんだ雪が再び降り始め、秘めやかな音を、静かに静かに覆い隠していった…。