1.旋風は桜色
夢を見ている。
千尋は漠然と”思った”。そもそも夢の中で”思考する”事が可能であればの話だが。
点滅する明かりと、フラッシュバックする景色。暗転しては光る、それはスライドを眺めている感覚に似ていた。
どこかで見たことのあるような、初めての場所のような、くるくると変わる景色に、見覚えの無い男の顔。亜麻色の髪がなびき、表情が判然としない。歪む口元に、嫌悪感を感じながら、記憶の引き出しを探っても、答えが見つかる事は無かった。
「あなたはだれ?」
夢の中で問いかける。男の口元がいっそう歪む。印象的な口元とは裏腹に、漠然として、正体の捉えどころが無い。
「あなたはだれ?」
逃げ出したい衝動を抑えて問い掛ける。
「あなたは…」
一歩踏み出すと、足元の花びらが旋風で巻き上がる。瞳を条件反射で閉じ、再び男の方を見ると、そこにいるのは…。
自分だった。
緋色の袴に白い着物。一つに束ねられた髪はキラキラした黄金の簪が挿してある。
自分自身が口を開く。そうすると、再びつむじ風が舞い上がった。今度は瞳を閉じないよう、腕で風をさえぎったが、つむじ風の向こうにいる自分の声が聞こえない。
見る間に桜の闇に消えていく自分の姿を、金縛りにあったように見つめてると、途端に景色が揺らいで、色彩の渦に目が眩む。
あれは誰?私は何?
夢の中の確かな思考が、覚醒の光にかすんでいく、ゆっくり、ゆっくり、…千尋は目を…醒ました。
ぱちり、と、瞳を開くと、まだ夜で、自分はいつから眠っているんだろうと記憶の糸をたどる。眠っているのは引っ越して間もない、見慣れない天井の自分の部屋だった。
「夢を見ていた」という感覚だけが体に残る。
体を起こそうとして、額に濡れたタオルが載せられている事に気がついた。…そして、さらさらした洗いざらしの寝巻きの感触。
起き上がり、少しまだ熱を帯びた体と、汗をかいた自分の体。…そして、いったい誰がこれを着替えさせたのだろうという疑問が頭をもたげる。
今は何日の何時だろう、と、あわてて携帯電話を探した。スイッチを軽く押し、バックライトを付けると、案の定、翌日の夜。
つまり、桜並木のほとりで意識を失い、丸々一日以上眠っていた事になる。ベットから起き上がり、フローリングの床が足にひんやりと触れた。スリッパが無い。…恐らく、自分の足でベットまで来たのではないだろう。
机の椅子に掛けてあるガウンを羽織ると、明かりもつけないまま、千尋は部屋を出た。扉の閉じる音の向こうで、カーテンから月の光が差し込んでいた。