「呑気なものだな、二課は」
いつの間に背後に立たれたのか、祐介のすぐ後ろに、一人の男が立ち、プリントアウトされた紙を横取りした。
嫌味な声の主は、姿形も嫌味であった。全身を黒でまとめた三つ揃い、亜麻色の髪を一つに束ね、普通に並んでも祐介よりさらに頭一つ分高い身長で二人を見下ろす。
祝子と祐介は、嫌な奴にまずいものを見られた、…といった表情で、声の主から視線を逸らした。
だが、二人のそんな態度を気にもとめずに、その男、鈴鹿崇志(すずか・たかし)は続けた。
「やるに事欠いて人探し?まったくもって税金の無駄遣いだ、そうは思わないかい?物部係長『代理』」
『代理』の部分にアクセントを置いて、居丈高なもの言いをするこの男は祝子達にとっては隣の課にあたる、外出中につき誰もいない島の管理職、結界管理一課の課長であった。
「君達のような輩が血税を無駄にしているのを知ったら納税者の皆さんはどう思うだろうね?入院中の羽田課長がそれを聞いたらさぞかしお心を痛めることだろう。…いや、まったく、羽田課長もいい部下を持ったものだ、同情するよ」
誰のせいで…と、祝子は思った。祝子達の上司、結界管理二課の課長、羽田健(はねだ・たけし)は優秀な術者ではあったが、政治的才能にいまいち恵まれない御仁で、人はいいが、貧乏くじをひきがちな人物だった。二課体制にある結界管理部門で、とかく「おいしくない」仕事をおしつけられたあげく、心労で体調を崩し、今は重度の胃炎を患い、もっか療養中である。管理職不在になるところを、一課の課長がこれ幸いとばかりに二課を吸収しようとしたところを何とか交渉し、当時主任だった祝子が昇格する事で、かろうじて維持しているのが現状だった。職務的には課長代理なわけだが、そうそう官職というものは与えてはもらえない。鈴鹿の強硬とも言える妨害により、祝子は係長の下に『代理』のつく今のポジションに暫定的に収まっていた。
「ただの人探しじゃありません、将来の禍根になるようでしたらしかるべき処置をします。渋谷区、目黒区は二課の管轄ですし、張れる予防策はあらかじめとっておいたほうが得策だと思いますが?」
こめかみを痙攣させながら祝子が答える。
「予防…予防ね、それは結構な心がけだが…」
そう言いながら、鈴鹿がプリントアウトされた画像に視線を落とす。秀麗な眉根がより、しばし魅入られたようにその画像を凝視した。
「…課長?」
あきらかにおかしい鈴鹿を祐介が怪訝そうに覗き込む。
「これは?どこで撮ったんだ?」
「M川だそうですが…」
言いかけた祐介の言葉を遮るように、祝子が鈴鹿の手にあった用紙を取り上げた。
「ともかく、いくら羽田課長不在の折とはいえ、他課に干渉されるような件ではありません。これはお返しいただきます」
きっぱりと、祝子が言い放つと、竜虎相打つの態で鈴鹿と祝子が睨みあう。…一触即発か、と思われたその時、電話が鳴った。
「はい、都市管理部です、あ、お疲れ様です、唐沢です、少々お待ちください」
祐介は一時保留にし、言った。
「鈴鹿課長、加茂川部長からお電話です」
「ああ、自分のデスクで取る、31番に回してくれ」
鈴鹿は、祝子に軽い一瞥をくれると、そのまま自分のデスクに戻って行った。
「唐沢、出るよ」
鈴鹿が席に戻る頃合を見て、祝子が囁いた。
「ここだと邪魔が入るから、私も着替えてすぐ行く、いつものところで7時に。了解?」
祐介は黙って頷くと、あわてて身支度を整え、そそくさとタイムカードを押して出て行った。