公僕呪術師達の明けない夜明け


 祝子が更衣室を出ると、…鈴鹿が立っていた。

「お疲れ様です」

 にこやかに笑って通り過ぎようとした祝子の腕を鈴鹿が掴んだ。

「…離してもらえませんか?急いでますんで」

 振りほどこうとした腕が、更なる力を持って掴まれ、もう片方の腕もとられる。

「人を呼ぶわよ、…鈴鹿っ!」

 地下室にある更衣室、廊下に人の気配は無い、壁際に追い詰められた祝子が吐き捨てるように言い、鈴鹿を睨み返した。

「こうでもしないと君は私の話を聞こうともしないだろう?相変わらずつれないね、祝子」

 次第二人の顔が近づく。

「自分のやったこと、胸に手ェ当てて考えてみな」

 至近距離の鈴鹿の顔に、動じる事なく祝子が言う。距離がどんどん短くなっていき、決め手に鈴鹿が囁いた。

「もう時効にしないか?」

「あのね…」

 言いかけた祝子の口が塞がれた。胸ポケットの携帯電話が鳴る。恐らくは先に出たはずの祐介から。電子化されたバッハのトッカータとフーガが、静かに廊下に響いていた。

 


 7時30分、予定の時間は既に30分過ぎている。広々とした、チェーン展開しているカフェで、唐沢祐介は片手でノートパソコンのタッチパッドを操りながら、携帯電話のリダイアルのボタンを押した。先ほどから3回ほど鳴らしている待ち合わせ相手は呼び出し音こそ鳴るものの、留守番電話に切り替わる事もなく、機械的な音を繰り返すばかり。

「どうしたんだろう…先輩」

 言葉には出さず、引き続きノートパソコンのディスプレイに視線を落とすと、さしあたり報告するべき情報を簡単に一覧に書き出してみる。M川近隣の高校、大学、見た目の年齢からいって、少女の方は高校生、青年の方はやや微妙だが、高校、ないしは大学生といったところだろう。始業式が済んでから、最寄の駅でローラーをかければ、案外簡単にみつかるかもしれない、ただし、花見の為に遠くからM川まで出向いたのであれば、また話は別なのだが。作業に没頭しかかったところで、声をかけられた。いつの間にやって来たのか、向かい合わせの席に座ろうとしている祝子だった。

「ゴメン、ちょっと出かけにつかまっちゃってね」

「待ちましたよお、先輩携帯にも出ないし」

 言いかけて、祐介は軽い違和感を感じた。春もののニットにスプリングコート、ベージュのパンツは朝見たが、首に巻かれたスカーフには見覚えが無かった。…あるいは、冷え込む夜の為に持ち歩いているのかもな、と、軽く流して、それまで調あげた事を報告する事にした。

 さしあたりの行動指針を決め、店を出ると、既に9時を回っていた。

 それぞれの帰途に着こうとした、まさにその時…。

「…先輩!あれ!」

 祐介の指差す先、春宵の月に重なるシルエット、新宿の高層ビル群に囲まれた人口の光の隙間に見えたのは、白銀の鱗持つ竜。もちろん、道行く人々の多くは視認する事さえかなわないその姿を、祝子と祐介は見て取った。

 ゆっくりと、悠然と渋谷方面へ飛んでいく竜の姿を、呆然と、二人は見上げていた。

 美しい、白い竜。

「先輩、俺、初めて見ました」

 興奮気味に、祐介が溜息をついた。

「爪の数は見た?珠は持っていた?鱗と鬣の色は?覚えてる?」

「あ…ハイ」

「…私の記憶が確かなら、『あれ』はここにいるべき竜じゃない、結界管理課のデータと、神社庁データの照会、戻るよ!」

 祝子がハンドバッグを翻す。

「あ!先輩、待って下さいよ〜」

 あわてて祐介がそれを追う。

 呪術師達の夜は、いまだ明けそうになかった。

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