そこは地下室、…といっても別に地下牢でもなければ拷問部屋でもない。窓が無い事を除けばごくごく普通のオフィスだった。
『都市管理部』…と書かれた黒文字明朝体の白いプレートの付けられた、一部すりガラスになっている安物の扉を開くと、三十畳ほどのスペースに何島かの机、ロッカーが並んでいる。電話応対に終われ、活気のある島、外出中の為人の出払っている島もある。行き先を記す為のホワイトボードには、「K田明神直帰」、「S王神社→Y国神社」など神社仏閣の名や、単に「調伏!」とだけ乱暴に書かれているだけの個所もある。扉に貼り付けられたプレートの文字以外とりたてて変わったところのない(?)そこは、東京都庁の地下深くにあった。
長くウェーブのかかった髪をひっつめて纏め、眼鏡をかけたグレーの制服を着た事務員風の女がホワイトボードの「M川、18:00帰社予定」の文字を消した。
「…いや、ですからね、ここは霊障なんでも相談室じゃないんで…、ああ?紹介ですか?まあ、心当たりが無くもないですけど、だけど、それぜっったい水子ですよ。供養するのが先決で…って、はあ、はあ、いや、だから…」
一見地味なお局風OL、物部祝子(もののべ・のりこ)が事務所に戻ると、彼女の相方は電話応対の真っ最中だった。自分の席に着き、省スペース型のデスクトップPCから伸びるマウスを軽く動かすと、スクリーンセイバーが消える。引き出しからBEVELフレアの箱を取り出し、口に加えて火を着け、一息つき、胸ポケットから取り出した小型のデジタルカメラをUSBケーブルで繋いだ。向かいの席の相方は、ようやく電話応対を終えると、受話器を置き、深くため息をついた。
「電話?どこから?」
ディスプレイから視線を逸らさないまま、咥えタバコで、祝子が相方、唐沢祐介(からさわ・ゆうすけ)に声をかけた。
「…一応、守秘義務、という事で…」
どうかするとまだ就職活動中の大学生のような、スーツの似合わない祐介が苦笑いをする。
「守秘義務って、アンタ、まさかさっきの話、依頼じゃないでしょうね?」
液晶ディスプレイの向こうに座る後輩をきつく睨みながら、祝子は咥えていたタバコの灰を灰皿に落とした。
「いやっ!違います、俺個人で受けた話…というか、何と言うか…」
「私用電話は携帯使いなさいよ」
「…だってここ電波届かないじゃないですかあ」
「私のは繋がる…って、今はそんな話をしているんじゃないでしょう」
ずり落ちそうになった眼鏡を指であげ、ため息のように煙を吐き出した。
「それより先輩、M川の方はどうでした?桜、もう満開ですよねえ、いいなあ…、俺も花見したいなあ」
あからさまな話題の切り替え方ではあったが、用件もあったので、祝子はそれ以上追求するのをやめ、先ほど帰ってきたM川の件に話を移した。
「ああ、かろうじて現状維持…ってカンジね。今は桜の季節で、余計なモノがうろうろしてるからなおさら、一応補強はしてきたけど…ああ、そう、途中でおもしろいモノを見たのよ」
「おもしろいモノ?」
既に冷め切ったコーヒーを喉に流し込こんでから祐介が尋ねる。
「なんだろう、はぐれ神…とでも言うのかな?女の子にくっついている神を見たの」
「守護霊、とかではなくて?」
「んーん、確かに神気だった、あれは。しかも、同じ顔の男の子もいた」
カチカチと、マウス操作をしながら祝子が答えた。
「はあ?人の姿をとってたんですか、そりゃすごいや」
「あーそうそう、あんまりはっきり人の姿をしてるから、最初は守護霊かな?とも思ったんだけどね。そこそこ高位の土地神だと思う。何で土地から離れて女の子と一緒にいるのかはわからないケドね。んでまた、さらに驚くことに、その女の子と男の子、見えてるみたいなんだな、ソレが」
「へえ、いいじゃないですか、スカウトして来たら」
「馬鹿者。ここはそれでなくても生産性の低い部署なんだから、これ以上余剰人員は増やせません」
きっぱりと言い放つと、祝子は立ち上がり、カラーレーザープリンタの吐き出したA4サイズの紙を取り出した。
「…でも、先輩、それってヤバくないですか?」
「そう、だから、これ、調べといて」
そう言うと、プリントアウトした紙を祐介の眼前に差し出した。そこには、桜の花の下にいたたずむ少女と、背の高い青年が写っていた。ストロボをたかず、街灯の明かりのみで写されたそれは、光量不足をレタッチで補正してはあるが、ギリギリ人相がわかるかどうか、といった程度の画質だった。
「多分、M川の近所に住んでると思うから」
「自分でやって下さいよお、先輩、顔見てんだし」
祐介がぼやくが、祝子はキッとそれを見返した。
「私の顔も見られてんの、…実は、軽く挨拶しちゃったんだよね」
「それって自業自得じゃないですか」
「いや、本当に見えてるのか確認したかったしさ」
苦笑いをして、祝子は画像のプリントされた紙を祐介に押し付けた。
「身元が解ったら、ちゃんと対応するからさ、…ね?」
「しょうがないなあ」
…と、しぶしぶ引き受けてはいるが、部署本来の業務よりも、そうした下調べの方が好きな祐介は既に庁舎のデータベースにアクセスし、準備を始めていた。