いつの間にか、姿を消した仮面の少年と、意識を取り戻した理沙とその父、と弟に、千尋は、何をどう説明していいのかわからず、してまた、水妖妃を退け、元の姿に戻ったハクは、もう一人のハクに力を与えたためによろめきつつ、何とか人の形を保つのに成功した黒衣の異形と、他その場にいる者達は、居心地悪く、互いを見つめた。場を改めた八畳間で、最初に、言葉を発したのは、理沙の父だった。
「…千尋、ちゃんかい?大きくなって…、今日はすまなかったね、ウチのゴタゴタに巻き込んでしまって…」
既に壮年にさしかかっている理沙の父は、半分以上白髪になった髪を整えながら、千尋とハクに、座布団を薦めた。
「本当に、何と言ったらいいのか…、あれは、あの、私の妻の体を奪ったあれは、私の伯母にあたる女性でね、私の父の、姉だった人なんだ…」
たんたんと、語り始めた理沙の父の話は、千尋達を驚かせるものだった。
「ウチの家系の女に、アレは憑くらしいんだよ、年頃になるとね、多くは、特にこれといって何もないんだが、ひどく情緒不安定になったり、自傷行為に出たり。理沙の従姉妹にあたる娘達で、今はもう、嫁に言っているがね…。理沙も、魅入られかけたんだよ、私の父、つまり理沙のおじいちゃんの葬式の時だったか。ひどい熱を出してね、私は、姪っ子達の時の話を知っていたから、ああ、今度は理沙の番だ、と思ったんだが…。私の妻の家は古い家系でね、まあ、そういった件については詳しくて、妻のおかげで、理沙はアレに憑かれずにすんでいたんだが…、まさか今になって、しかも理沙でなく妻に憑くとは…」
そう言った理沙の父は、心底口惜しそうに、こぶしでテーブルを叩いた。
「…僕が口を出すような事ではないのかもしれませんが、…どうして水出さん達はああいった存在をそのままにしてきたんです?奥様がそうした家の方でしたら、何らかの方策もあったのでは、と思ったんですが…」
「だって…、おばあちゃんも、叔父さん達も、アレのおかげで、ウチは栄えてるって!女の子達が多少おかしくなるくらい仕方ないって!でも、だから…お母さんはっ!!」
弟を寝かしつけ、戻って来た理沙が入り口のふすまのところで叫んだ。
激昂する理沙の肩を抱きながら、千尋は考えていた。理沙の家は、近隣でも有名な名家で、理沙と理沙の父は、分家のためか、そうでは無かったが、本家と言われる家は、町の名士であり、従兄弟達や親類には、医者や政治家もいた、という事を考えていた。
理沙は、そうした事をことさらひけらかす娘ではなかったし、千尋もあまり気にかけてはいなかったのだが…。
泣きじゃくる、理沙を抱きしめながら、小学校4年生…私が、引越した頃だ、と千尋は思った。そして、今まで自分のことばかり考えて、これほど苦しんでいる理沙に耳を貸せずにいた自分自身を恥ずかしく思った。
「目的は、何なのでしょうか?」
ハクが、落ち着いて問い掛ける。
「ええ、…その、アレが、伯母が、出てくる原因は既に取り除かれているはずなんです、ただ…」
理沙の父は、初対面のはずのハクにすらすらと答えた。ハクの風貌がそうさせるのか、警戒心を起こさせない風貌というべきか、はたまた…。
「おかしくなった娘達は、一様に川を目指すんです、…もっとも、伯母の死因、というか、…無理心中だったんです、生まれたばかりの子供を連れて、入水を…」
「だからか、水を使うのは…」
千尋とハクにのみ聞こえる声がそう言った。
「子供を、捜しているのやもしれぬな」
理沙と、家族の手前、答えるわけにもいかず、千尋とハクは目配せし合い、その夜は、理沙の家を辞する事となった。泊まって行くよう申し出た理沙一家の申し出を丁重に断り、春とはいえ、夜気が冷え冷えとした外に出ると、門のところまで送ってきた理沙が、少しだけ落ち着きを取り戻して言った。
「千尋…、今日は、ありがとうね」
かろうじて向けた笑顔が痛々しい、かなり無理をしていたのだろう、とたんに顔が歪み、涙目になった理沙の手を千尋が取った。
「千尋…お母さん、どうなっちゃうのかなあ、私のせいで、お母さんは…」
泣きじゃくる理沙を再び千尋が抱きしめる。
「理沙…」
「千尋、…千尋」
耳元で、もう一人のハクが囁く。
「アレは、恐らくまた私の元に現れるであろう、今、あやつの狙いは、どうやら私のようだ、必ず母御前はお助けすると、その娘に伝えてやれ」
頷いて、千尋が理沙に囁いた。
「大丈夫、…きっと、大丈夫だから、…理沙、私ね、理沙にヒミツにしてる事があるんだけど、いつか、聞いてくれる?」
理沙は一時きょとん、と千尋をみつめ、そして、頷いた。