春宵桜の下


 待ち合わせの相手、ハクこと、百道士郎、(この春よりめでたく大学一年生)は、待ち合わせ場所の犬の塑像近くで、文庫本から視線を上げた。道路の向こうの大型ディズプレイが午後一時を告げる。

 千尋に会うのは久しぶりだった。何しろ、クリスマスもバレンタインも、何くれと妨害工作(?!)に合い、(おかげで受験勉強はたいそうはかどったが)今年初めて直接顔を合わせるのが今日だったのだ。

 雑踏の中をこちらに向かって歩いて来る千尋を、いとしく眺めながら、その横に並んで立つ、黒い狩衣を着た自分と同じ顔の青年を見て、幸せな気分が、急転直下で突き落とされる。だいたい、自分は、”あれ”に殺されかけている。元は同一人物だったものが二人に分かれたわけで、一卵性双生児のようなものかとも思いきや、身近な従兄弟を思い返してみても、やっぱり大分違う、とため息をつく。

「ゴメン、もしかして遅刻?」

 ハクの姿を捉えて、千尋が小走りに駆けてきた。しばらく見ないうちにいっそう美しくなった。紅潮した頬が眩しい。

「いや、僕も今来たところだから」

 傍目で見ていると、ごく普通のカップルにしか見えない。―――が。

「別に来ずとも良かったのに」

 向き合う二人に水を差す。黒衣の…もう一人の、ハク。

 二人の頬が同時に引き攣った。

 そもそも、士郎、…ハクが東京の大学を受験したのは神職を取って養父母の跡を継ぐため。では何故千尋も東京にいるのか…?といえば、それは、黒衣の人ならぬハク、失われた川の守護者たる元竜神のせいに他ならなかった。
 なにしろ、このハクは、常に千尋のそばにいてちょっかいを出して来る。最近は慣れたとはいえ、初めのころ、人前でハクに向かって声を発することしばしば。元々、少々エキセントリックな生徒と周囲に誤解されていた千尋だけに、この『ひとりごと』は問題だった。小さな町の事、友人も遠のき、クラス、学校で孤立しがちになってしまった。そこへ降ってわいた父の単身赴任の話。将来の大学受験の事も考え、また、せっかく購入した家を手放すわけにもいかず、母を残し、心機一転父ともに東京にやってきたのだった。新学期から、父の社宅近くの女子高に編入する事になる。
 黒ハクの目をかいくぐり、インターネットやメールで愛を育んできた二人は、そのお陰で(?)実に半年ぶりの逢瀬となったわけなのだ。…もちろん、おまけはついているが。 さて、クリスマス、バレンタインと恋人達のイベントを邪魔し続けたハクが、今回妨害に及べなかったのは、千尋の「一生口きかないからね」攻撃に降参したためであった。(…一度、ちょっとしたいたずらを仕掛けたせいで、黒ハクは一週間千尋に口をきいてもらえなかった。それがよほど堪えたのだろう。)当然、おもしろくないことこの上なく、先ほどからずーーーーっと不機嫌そうに、二人の間を阻むように並んで歩く。

 一見、ぎこちなく距離を置く初々しい恋人達にも見えるが、実際は、他の人には見えない壁、黒ハクが立ちはだかっているのだった。


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