火鬼子(5)


リンがけたたましい物音に起こされるしばらく前、海月堂、麻燐婆(まりんばあ)の事務所で、カタカタとキーボードを叩く音が響いていた。薄暗い部屋。モニターのバックライトの明かりが、無表情で画面に向かう麻燐婆の姿を映し出す。
ひとしきりキーボードを操ると、麻燐婆は最後のキーを勢いよく叩き、ため息をついた。鼻にのせた眼鏡をかけなおし、モニターをしげしげと眺めて、初めて麻燐婆の無表情な顔の口元が歪んだ。

「やれやれ、やっと動いてくれたようだ」

そう、ひとりごちると視線をモニターからクラシックな内装の事務所にふさわしい、ストーブの横に詰まれた石炭の山へ移した。季節のせいかストーブに火の気は無かったが、詰まれた石炭は黒く不気味な光沢をきらめかせる。海月堂のそこに詰まれた石炭は油屋で釜爺がボイラー室で使っているのと同じもので高度の熱量を保つ事ができる逸品、(油屋に関するものはすべてそうなのだが、とりわけて)入手が困難なものであった。
更に、この石炭の発火材となる発火石は更に稀少となる。いかに油屋のボイラーが釜爺の手によって整備され、整えられていても、薬草による薬湯があったとしても、そもそもこれがなければ湯の温度を維持する事もできない。
発火石の入手方法は秘中の秘とされ、知っているのは資材調達を賄う麻燐婆、釜爺、湯婆婆の三人のみ。直接搬入物資を触っているリンでさえ、その入手先は知らされていなかった……。

デスクの上にあったリンからのメモ書きに再度目を通し、再び麻燐婆はパソコンに向かった。しばしキーボードを操り、いくつかのウインドウを目にすると、わずらわしいとばかりにキーボードから手を放した。麻燐婆の視線が動くごとに、ウインドウへ文字が増えてゆく。空に描いた文字が、すぅとモニターに吸い込まれてゆくように。そうした諸々が勢い画面に増えてゆく。

コツ、コツ、コツ……。

窓を叩く音に気をとられた隙に、麻燐婆は容易く侵入者を許した。つむじ風が不意に舞い込んだかと思うと、風はやがて赤い髪を形作り、そして子供の姿に変わった。額から伸びた赤い角、緋色の唐衣をまとった少年が、そこには立っていた。

「ずいぶんまどろっこしい事をしているね、麻燐婆ともあろうものが、どこを経由させずとも貴女だったら直接記録を操作する事もできるでしょうに」

「何、相手の好みに合わせただけさ、料理と同じでね、手間をかけただけ味はよくなる」

「おかげで僕も随分と遊ばせてもらったけどさ……」

炎の髪を持つ少年は、海月堂の魔女とは随分と懇意な風で部屋の中を歩き周る。

「本当に、人間はおかしいねえ」

麻燐婆の横からモニターを覗き込み、少年が喉の奥を鳴らす。

「お前さんがまぜっかえすからじゃないのかい?」

魔女が少年の方を向くと、少年はひらりと身をかわし、今度はストーブに積まれた石炭をひとつ摘み上げた。

「僕のせいとでも?心外だなあ、僕はやつらの本音を形にしてやってるダケだよ?」

そう言ってまたひとつ、ふたつ、と弄ぶ。お手玉のように弄ばれた石炭が一斉に炎を灯したが、少年はさして熱も感じない様子で炎の玉となった石炭をなおも弄ぶ。

「心の内にある炎に、ふっと息を吹きかけているだけでね」

言葉の通りに少年が息を吹きかけると炎の玉は勢いを増した。炎と戯れる少年を、魔女はさしたる感慨も含めず冷ややかに見つめている。

「やつらはさ」

こん、と炎の玉がひとつ飛び上がる。

「知らないのさ、自分が何かに憤るのと同じように別の誰かが憤るなんて、世界の中心は自分、自分以外のものに痛覚があるかさえ気づいちゃいない」

こん、と、もうひとつ炎の玉が飛び上がる。ふわふわと炎の玉を身にまとうようにして少年が嫣然と微笑んだ。

「せいぜい互いに傷つけあえばいい、互いの痛みを知らぬ間に己のみが辛い辛いといい続ければいいのさ」

吐き捨てるように言うと、炎の玉が命の最後を燃やし尽くすように光度をあげ、音も立てずに静かに消えた。

「あまり無駄にお使いでないよ、それは貴重品なんだ、あんたにとっちゃ、おもちゃみたいなモンかもしれないがね……火鬼子」

たしなめるように発された魔女の言葉に、少年は無邪気な微笑みで答えた。

「何言ってンのさ、じきにもっといいものが手に入るんでしょう?僕はいい駒ってワケ?」

「あまりお調子にのるもんじゃないねえ……お前はりこうな子だと思っていたけれど」

魔女が目を細める。少年……火鬼子は首をすくめると、再びつむじ風となって姿を消した。薄暗い部屋に、残された魔女のぎらつくような瞳が輝いた。

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