火鬼子(3)


 その時の状況を、なんと形容したらいいのか。探していた本が、ふいに最寄駅の駅前書店に平積みになっていた、とか。偶々チャンネルを変えたら好きなアイドルが出ていた、とか。ともかく、唐沢祐介は、驚きをなるたけ表面には出さないように、しかし、視線はしっかりと、ハクと千尋を捕らえて席にについた。
 祐介の定位置であるカウンター席に二人は座っていたので、いつもは座らないネット席の方に腰を降ろす。あわてて水を持ってきたリンに、コーヒーを注文すると、そのままかばんからノートパソコンを取り出し、デスクトップに差してあったケーブルを抜いて、自分のノートに繋ぎかえた。何食わぬ顔でメールソフトを立ち上げると、興奮気味に上司宛てのメールを書き始めた。

宛先:mononobe@sorcerer.metoro.tokyo.jp
件名:緊急報告!

お疲れ様です!
唐沢です!
桜の下の少女と青年(やっぱこのコードはどうかと…)、発見しました!
場所は…


と、書いたところで、祐介は我に帰った。

 確かに、二人を探す、というのは、彼の目的であったが、その先について初めて思いを巡らせた。早々に管理課が動くとは思えなかったが、彼らの個人情報はしかるべきデータベースに登録されるだろう。…有意の、人材として。そうなった場合の事を、想像する。祐介自身は、この職についたのは、ことごとく就職試験に落ちまくった為と、進学もままならなかった己のふがいなさと、恩師の意向が偶々一致しただけではあったが、他部署の者には、随分昔から目をつけられて、行動を監視されたあげくにスカウト(単に追いこまれた、とも言う)者もいた。果たして、この二人の人生に、自分がどの程度関与してしまうのかわからない、という危惧を抱いたのだ。
 もっとも、かつての祐介であれば、他人の事、とためらい無く報告しただろう、…だが?

 来客により、祐介が店に入ってきた時のような気安さこそ感じられないものの、リンと、二人の間には、慣れ親しんだ友人同士の雰囲気があった。もしここで、自分が報告し、仮にそれが二人の将来に何らかの影を落としてしまったら、そしてその決め手となったのが、自分の報告だったとしたら?彼女はなんと思うだろうか。

 祐介は、OSを落とし、ノートパソコンを閉じると、再びかばんに戻した。

 これは職務放棄だろうか。でも、とにかく二人を補足してさえおけばいい、本当に必要であれば、その時は、黙っているような祝子ではない。もちろんそうなったら、相応の叱責は受けるだろうが、今、少なくとも二人を探す事は急務ではないはずだ。ならば、今はまだ…。

 祐介は、報告を一時保留することにした。もちろん継続して二人の身元はそれとなく調べる、が、祝子へは報告しない。しかるべき時がくるまで。少ない時間に方針を決めてしまえば、あとはすっきりと、自分の考えに没頭する。

 これは、もしかしたらマジなのかも…。

 コーヒーを載せたトレイ片手に、向かってくるリンを見て、祐介は思った。

 リンは、当初思っていたような、いわゆる、かわいいけれどもオツムの軽いタイプの女性ではないようだ。確かに機械やコンピューターは苦手なのだろうが、ものごとの本質を理解するのが早く、わからないなりの質問も理路整然としていて、中途半端な事を言うとすぐに指摘が入る。この店に通うようになって、なかなか崩さない店員としてのキッチリとしたけじめぶりについてもそうだったし、立ち居振舞いにも隙が無い。それに、リンはとても細かいところまでよく気がつく。それでいて、慇懃ではなく、丁寧なもの言いではあるが、どこか気安いのは、彼女の持つ親しみやすさに他ならないし、たった今垣間見た、姉御然とした快活な笑みは…。

 結局、俺って、気の強そうな女が好きなのかなあ…。

 と、頬杖をついてみた。

「…お待たせしましたあ…?唐沢さん?」

 テーブルにアンティークのコーヒーカップを置く仕草に見とれていた祐介は、そのままにっこり、と微笑み、リンはわけがわからないままに微笑みを返した。

 客と、店員、いつになったら、それ以外の属性になれるのか、と、祐介は思う。もっと、彼女のことを知りたい、と、声にはださずに呟いた。

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