「カオナシーぃ、イモリの黒焼き定食ひとつなー」
トレイを片手で弄びながら、リンは、厨房の主に注文をした。明日のケーキの仕込みをしていたカオナシは手を止めて、「アッ…アッ…」と言いながら、貯蔵庫から冷凍のイモリ(!)を取り出し、網にのせてグリルを点火させた。付け合せの準備をしようとして、いまだ厨房から出て行かないリンを見て、「…アッ?」と声をかける。
「あいつさあ、また来てるんだけど」
リンの言う、「あいつ」とは、祐介の事である。
「俺、何かおかしなことやっちまったのかなあ?」
それは数日前の出来事だった。芸術や、文化、ないしは、世界の情勢等におよそ興味を持ち得ないような男が一人、海月堂の扉を開いたのは。
「インターネットができるんだって?」
と、言った顔は、かの油屋の父役を三倍好色にして、ダンプで踏み潰したような顔立ちをしていた。リンは、心の中で「げぇ〜っ」と思ったが、元々客商売で、外面を作る事ができたので、相手に気づかれる事なくやり過ごした。
「こちらになりますぅ」
と、作り笑顔で席に案内した時、男の片手がリンの太ももに触れたような気がしたが、その事実そのものを黙殺し、水を置いてそそくさと立ち去った、…のだが。
やれ、電源が入っていないだの(モニターがサスペンドモードになっていただけだった)、どうやったら検索できるのだの、と、何くれと無く呼びつけては、体に触れようとしてくるのに、いささかウンザリしていたところへもってきて…。
「これ、繋がらないの?」
と、示された画面は、金髪のヌードモデルが足を開き、ショッキングピンクの★の舞い散る有料アダルトサイトだった。
さすがにこれはリンも辟易し、正視できないまま、しどろもどろになっていた。その時。
「あーコレだめですよ、Q2のアダルトサイトでしょ?ここ、ダイヤルアップじゃないですから、見れませんよ、仮に見れても、支払いは電話回線の名義にきますからね、そんなサービスはやってないでしょ?このお店」
ひょうひょうと割って入った客の一人が祐介だった。
「もしアダルトサイトが見たいなら、カード決済のところでないと繋がりませんよ、クレジットカードは持ってます?ここに…」
そう言って、祐介は鮮やかにキーボードを繰ると、また別のサイトにつながり、決済の画面まで出してしまった。
「カード番号と、期限入れて下さい」
にっこり、と微笑んで、祐介は、男を画面に向かわせ、肩を掴んだ。祐介に圧倒されて、男がおぼつかない手つきでキー入力をしようとすると…。
「あーでも、こういう共有のパソコンにクレジットのカード番号なんか入れちゃって、情報漏洩しても、普通は個人の責任になるんですよねー、大丈夫ですかあ?最近、詐欺事件多いし、まきこまれないといいですね」
再びにっこり。して、祐介が耳元でぼそっと何事か囁くと、男はそそくさと伝票をひっつかみ、千円札をたたきつけるようにテーブルに置き、立ち去っていった。
リンは、しばらくあっけに取られて見ていたが、男が立ち去って、にこにこしている祐介に気づくと、いつものペースを取り戻し、余所行きの笑顔で、
「ありがとうございました」
と返した。祐介の頭上では幸せの鐘がリンゴン♪と鳴り響いたものだったが、リンにとっては。
「やっべーな、人間じゃないのバレちまったかな」
と、そちらの方が気がかりらしい。実際のところ、イモリの黒焼き定食を出しているだけでも、普通の店ではない海月堂であったのだが、リンとしては、イモリの黒焼きを食べることそのものがあたりまえすぎて、普通の人間の家の食卓にあがらないなどと、気づいてもいなかったのだが…。