逢魔の刻〜神隠し〜(21)

「ど…して、なん…でっ…!!」

 大粒の涙がこぼれる。膝まづいて、正面の、蝶の消え去った窓を真っ直ぐに見つめて、背筋をのばし、うっすらと夜明けの近づいている空を眺めながら、千尋は呆然と繰り返した。

 我が身を委ねてしまっていたら、ハクは消えなくてすんだのだろうか。

 私のせいで、私の軽率な行動のせいで…!

 答えの出ない、堂々巡り。それでも、繰り返さずにはいられなかった。

「千尋…。」

 千尋の横に並び、ハクが千尋の肩を掴む。

「君のせいじゃない…。」

 視線をそらして、それでも何とか言葉を紡ぐ。

「違う!私の…私がっ…!!」

 取り乱して首をふる千尋を、ハクが力強く抱きしめた。

 突然のハクの行動に、一瞬千尋は面食らった、そして、再び思い出す。冷たい、重い、のしかかる体の重み。耳元に響いた声。でも、失われてしまった。もう、会えない。同じ顔で、同じ声で、けれど触れる体は熱いほどで…それだけに、堪えようのない罪悪感がよぎる。抱きしめられて、安らぐ自分が嫌だった。流されてしまうのが苦痛だった。
 それでも、虚ろな心のままに、その、身を委ねる。

 もう一人のハクの腕の中で、涙をこぼしながら、千尋が思いがけず、口にした、言葉は、

「私、惹かれてしまっていたの。お父さんとお母さんを石にしたのに、ハクの大切な人の魂を奪ったのに、それでも…私、どうなってもいいと…」

 思って…という最後の言葉が、ハクの唇で塞がれた。

 強く、かみつくような口付け。もしかしたら、唇が切れたのかもしれない、血の…味がした。

 背中に回された腕の片方が、二人の体に割って入り、千尋の体をゆっくりと這い登る。ゆるゆると、時にやさしく、ときにからみつくように。

 嫌だ!!

 拒絶の感情が、虚ろだった心に火を灯す。

 あわてて腕を跳ね除けようとすると、今度は唇を割って何かが進入する。冷たい何かが、喉の奥を伝う。

「嫌っ!!」

 力一杯ハクを突き飛ばすと、そのまま力が抜けたように、倒れこむ。

 既に飲み込まれ、千尋の体内に侵入したそれは、急速に熱を帯び、全身が火照りだす。

「な、何!?」

「あ、あれ?僕は、何を…。」

 操られていたかのように、ハクは自失して、千尋の異変に気づくのに、少々の時間を要した。

「体が、熱い…っ!!」

 うずくまる千尋の体は燐光を放ち、青く輝いている。

「あ・・・ああっ…。」

 上半身をのけぞらせると、燐光がゆっくりと、ぼんやりと、人の形を取り出した。

 それは、髪が長く、狩衣のような着物を着ている。

 輪郭がはっきりとしてくると、千尋自身の苦痛は和らいだのか、肩で大きく息をしながら、顔をあげた。

 その、人型は完全に千尋の体から分離したように見えた。輪郭こそはっきりしているが、全体的な色彩は薄く、向こうの壁が透けて見える。そう、それは、その姿は。

 先ほど、蝶となり、散っていった、黒い直衣の魔モノ。

「ハ…ク…?」

 千尋と、ハクは、ただ驚くことしかできなかった。

 「にやり」としか形容しえない、人の悪い笑みを、その幽霊のようなモノは…していた。

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