逢魔の刻〜神隠し〜(18)

 その時だった。扉が大きな音をたてて開く、抜き身の刀をたずさえ、走ってきたのだろう、肩で息をしている。

「千尋!!」

 叫んだのは、もう一人のハクだった。

 寝台の上で、千尋に覆い被さる黒衣の男を見て、白い衣の剣士が構える。

「千尋を…離せ。」

 無粋な闖入者に眉をひそめながら、黒衣の魔物が起き上がる。

「ちょうどよい、手間が省けた。」

 黒衣の魔物の体から力が抜け、一気に千尋の体に覆い被さった。冷たくて、重い、塊…が、その瞳には既に光彩が無い。

「…人形?!」

 人形の体を千尋がはねのけると、ハクの周囲を闇色のもやがかかっているのがわかる。
「ハク!!」

 もやが、体を取り囲む、刀で薙ぎ払うが霧散するだけで、すぐにまた集まってくる。

 うめきにも似た、ハクの叫びが、体内に侵入したモノがあることを知らしめた。

 膝をつき、刃を床につきたてる、意識と意識が葛藤している。肉体の主導権をめぐり、二つの魂がせめぎあっている。

 千尋にとってはわずかな時が、
 二人のハクにとっては長い長い時が流れた。

 元は一つであった魂は、既に乖離し、異なるモノとなっていた。混ざることのない、二つの意識を…支配したのは…。

「…やっと、戻った。」

 振り乱した髪の隙間から覗く、翡翠の瞳が、千尋を見て、笑う。

「…あなたはっ…。」

「どちらが良かった?千尋。『僕』と『私』と。」

 意地の悪い笑み。

「どちらも、ハクだ。そなたにとっては。…だが、『私』にとっては違う。元が同じであろうとも、千尋は一人、渡す気は…無い。」

「…もう、一人の、ハクは?」

「まだ、かすかには残っている。…が、すぐに消えるだろう。」

 何て事だろう、人として、生きてきた、彼の人生が否定される。自分が自分でなくなる感覚には、覚えがあった、名を奪われて、センであった頃、千尋としての自分を見失いそうな不安、助けてくれた、ハクだったのに。

「そんな、どうしてっ…。」

 どうして、そんなひどいことができるんだろう。

「全ては…そなたの為に。」

 そう言って、笑う。

 支配しているのは、あるいは、狂気なのか。

 千尋は、寝台を飛び降りると、ベランダに向かって走り出した。

 追いかけるハクの手をすり抜け、手すりに身をゆだねる。遠くに、電車の音がした。

「来ないで!」

 ぴしゃりと言い放つと、千尋は手すりを乗り越えた。

「何をする気だ…。」

 ゆっくりと、ハクが近づいて来る。

「どうして…、ひどいことをするの?」

「すべてはそなたの為、そなたに再び会う為だ。何がいけない…。」

 繰り返されるハクの言葉に、千尋は意を決した。

「私の為だと、私のせいだというのなら、私の答えは、…!」

 油屋の楼閣、海を見晴るかす展望台、千尋は、その身を躍らせた。

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