少女が眠っている、やっと…我が手に。
指先で、軽く髪をかきあげる。あの頃と変わらない面差しに、すべらかな頬をなぞる。
何よりも、誰よりも愛しい存在。
だが、我が身は変わってしまった。あさましく、他の命を奪わなければ体を動かすことさえかなわない。いっそこのまま朽ちて果てれば、こんな思いもしなくてすんだだろうに。ただ、ただ逢いたいと願うがゆえに、狂おしいほど身を焦がす。
「千尋…。」
つぶやくと、閉じられていた瞼が、ゆっくりと…開いた。
目覚めた瞬間、目の前にあるハクの顔に、千尋は思わず悲鳴をあげそうになった。
「ひっ…。」
そのまま身を起こし、後ずさる、自分のいるのが天蓋付の広い寝台だという事に気づいて、更に生きた心地がしない。
「何故…逃げる?」
哀しそうな顔だった。逢魔の刻に再会した時とも、神楽で見た怖い顔とも違う、かつて油屋で会った時とも違う。
無言で千尋は俯いた。
「…リンから、聞いたのか、私のあさましき身の上を。」
自嘲気味に苦笑すると、そのまま寝台に腰かけた。
「私を怖いと思うなら、これ以上、そなたには近づかない、ここにこうして座っているから、…せめて、顔を見せておくれ。」
千尋は、伏せた顔を、ゆっくりと、あげた。
ハクは…泣いていた。翡翠の相貌から、まっすぐに涙が頬をつたっている。生まれて初めて、男性の涙を見た。…綺麗だ、と、思った。
魅入られて、しまう。心を、落ち着けなくてはならない。この美しい魔物は、両親を石に変え、人となった我が身自身をも滅ぼそうとしている。
「どうして、お父さんと、お母さんを石に変えたの?」
「そなたを隠しだてするから。」
「もう一人のハクを殺そうとするのは何故?」
「私と同じ姿で千尋の前にいるから…千尋、もしや、そなた…。」
涙で潤んでいた翡翠の瞳に炎が灯る。
「惹かれて…いるのか、あいつに。」
距離を保っていたハクが、じわじわと寝台の上の自分ににじり寄る。それとともに千尋もゆっくり後ずさる。広いとはいえ、すぐに壁際に追い詰められる。
「…こ、これ以上、近づかないって言ったじゃない。」
「そうだったかな?」
さっきまで泣いていたのが嘘のような笑みを浮かべてハクが近づく。
両腕で退路を絶たれて、ハクの顔はすぐそこだった。怖い…と思うのに、秀麗な顔から目が離せない、心拍数が急上昇するのは、恐怖なのか、それとも…。
「嘘つき!」
身をかがめ、ハクの呪縛から逃げる。寝台から飛び降りようとした千尋の腕をハクが掴んだ。
「行かないで。」
せつなくなるような声で追いかけられ、一瞬千尋がたじろいだ。
その隙をハクが見逃すはずがなかった。
力強く、引き寄せられ、そのまま抱きしめられた。
「捕まえた。」
千尋の体は火照っているのに、ハクの体は冷たくて、そして、重い、そのまま、体重をかけられて、千尋は寝台に押し倒された。
「どうして、そんなに冷たいの?」
泣きそうな顔で千尋が問う。
「それは私の体が?…それとも、心が?」
「両方よっ!」
もはや涙でくしゃくしゃになっている、千尋の頬を伝う涙を唇でなぞって、ハクが耳元で囁いた。
「では、千尋が温めておくれ…。」
千尋の体に、ハクの体が重なろうと…していた。