禿の少女が走って逃げる。手には女雛が、追いかけるのは大天狗。庇うように並び走る小天狗が少女を突き飛ばした。
「連れてきて、…すまなかった」
つらそうに、少女を見やると、小天狗は身を翻し、追ってきた大天狗に向き直った。少女といえば、自身に羽が生えたように、どんどん小天狗から遠ざかっていった。
気がつくと、そこは見知らぬ場所で、声のかれんほどに天狗の名を呼んでも、答える者はいなかった。
少女が発見されたのは、少女の住まいから遠く離れた場所だった。格式ありそうな、女雛を抱いていたのだという。
■逢魔の刻side
「三郎…と、その小天狗は名乗っておりました」
一時は取り乱した志摩子であったが、ぽつり、ぽつりと語った。自分の身の上に起こった事を。
「贄として連れていかれた私を逃がしたんです、どんな目にあったのか…」
老婆の瞳からはらはらと涙がこぼれた。
「でも、私は、怖くて…確かめる術もなく、歳だけを重ねて、今まで…、もう、耐えられないんです」
「何を言うか!志摩子!三郎と約したを忘れたか!幸せになるのだと、あきらめずに生きるのだと!だからこそ、わらわはそなたと共にこちらへ来たのじゃ」
激口する女雛をそっと持ち上げて、志摩子は胸に抱いた。
「ええ、私が今までこうしてこれたのも、女雛様がいてくださったおかげです。それは…感謝しています。私の人生は幸せでした、そう言えます。でも、貴女は?」
「わらわ…?」
「女雛様一体で、このまま、私の命が消えてしまったら…、他の雛様達と引き離したのは私の咎、でも、あそこを、あの場所を探す術が、私には無かったのです」
「では、その女雛を他の雛達の元へ戻せばよいのか?」
割って入ったのはハクだった。
「貴方は…?」
黒ハクに反応したことに、白ハクが驚いた。
「見えているんですか?貴女には」
「ええ、黒い衣の…」
「いずれの龍神かは知らぬ、だが、上巳の節句に贄を求めるとは、いずれは川の神であろう、だが、贄の習いは既に廃れて久しいはず、本来であれば、それ、お前が手に持つそれが、流し雛という形でわずかに残るのみという、であれば…あるいは、龍の名を語った天狗の仕業かもしれんな」
「それは!?どういう」
「おい、お前!」
白に向かって黒が横柄に言う。むっとしてハクが顔をあげると、黒ハクが志摩子達を指差した。
「そやつらを連れて橋のたもとまで、そして、私が言う通りに詠唱しろ」
不承不承、黒の指示通り、白ハクが老婆と女雛を橋まで連れていく。そして、女雛を橋の中央に置いた。
「何故自分でやらない?」
橋に向かって立つ白ハクが並び立つ黒ハクに向かって問いかけた。
「この祝詞は、音の響きが意味をもつ、私には体が無い。空気を震わせ、音を紡ぐことはできんからな」
黒ハクの言葉を、辿るように白ハクの声が重なった。
「…祈願奉ることの由をきこしめして 六根の内に念じ申す大願を成就なさしめ給へと
恐み恐み白す」
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