やはりどうにも体調が思わしくない、という理由で、千尋は部屋に帰されることになった。というよりも、千尋倒れるの報せを聞いたハクが帳場をうっちゃってやってきてしまったのだった。
「何やってんだい!とっとと持ち場に戻るんだよ!ハク!センはもういい!連れてって休むませな」
湯婆々の一喝に、ハクがきょとんとする。
「いいから早く!連れてお行き!…あんたは、すぐ戻って来るんだよ!」
湯婆々が片目をつぶると、ようやく要領を得たハクが頷いた。
「…ゴメンね、ハク、今日…忙しいのに」
ハクに肩を借り、それまで張り詰めていた気が緩んだように、ふらふらと頼りなく千尋が歩く。
「いいから、千尋、さあ、もう少しだから」
支える手に力をこめて、ハクが千尋を支えた。
「ゴメンね…」
と、うつむいた千尋の顔がいっそう青ざめる。こらえきれないように、ハクの手を振り払い、口を抑えて濡れ縁に跪く。聞こえてくる、嗚咽の声。うずくまり、くるしそうに吐きもどそうと喉の奥を振り絞る。
千尋の異変に、あわててハクも背中をさすった。
「大丈夫か?千尋…」
「…うん、少し、すっきりした」
そうは言っても、千尋の顔色は相変わらず青ざめている。そんな千尋を見て、医者のようにハクが言った。
「…千尋、朝は?たとえば朝起きるのがつらい、とか、手足がむくんだり、しているかい?」
「どうして?ハク、そんな事…」
「いいから、そうなんだね」
こっくり、と、千尋が頷いた。ハクの顔がぱっと明るくなり、千尋を抱かかえた。
「ハク?どうしたの?」
「医者だ、ちゃんと確かめよう」
緩みきって、顔を輝かせるハクに抱えられて、千尋も自分の下腹をそおっとおさえてみた。なんだか、少しあたたかいような、気が、した。
自分を抱えて走り出したハクの首にしがみつきながら、千尋は言った。
「ハク、もっとゆっくり歩いて…」
「すまない…だが、うれしくて、千尋」
うきうきと、だがそおっと、慎重に、もしかしたら父親になったのかもしれないハクと、新しい命を宿しているのかもしれない千尋は、医務室へ向かった。
若夫婦の去っていく様を、物陰から見守る姿があった。
「聞いたか?」
「確かに」
「子が宿っておるようじゃな」
「おるようじゃ」
「あの娘を」
「御屋形様の元へ」
「元へ」
こそこそと、去っていく童子姿の五人。揃いの衣装はどこか古びているが、格式あるもので、手にした楽器も業物である。湯屋に来ている雛人形の精霊達の一揃いが、千尋に目をつけたのは…。
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