「ならば、腕ずくで来られるがよかろう」
深い翠の双眸がきらめいた。奥に燃える燐光のような輝きが、やわらかな緑を、輝石の翠に変える。かろやかに飛び上がり、数度跳躍すると、既にハクの身は楼閣の高みへと飛んでいた。
「もっとも、私を捕らえる事かなえば……ではありましょうが」
蒼仁と朱礼を見下ろした表情は不敵で、口元には涼しげな笑みさえ浮かべている。年若い風貌に似合わぬ身のこなしは、歴戦のつわものというよりは、手練の舞手のしなやかさで二人を翻弄する。
ハクを追い、跳躍した蒼仁の槍は空を切り、その残戟を縫って襲い掛かる朱礼の双剣が一刀、ニ刀と共に鮮やかな軌跡を描く。
されどそのどちらも、ハクの髪ひとすじはおろか、白絹の衣装にすらかすりもしない。
「ほらほら、そうしていると……!」
ふわり、と舞い上がったハクが、蒼仁の槍の切っ先に、とん、とその身をのせた。軽やかに一点へ集約された力はハクの足先でもてあそばれ、そして……。
振りほどこうと蒼仁が槍を突き上げた途端に、ハクを襲う朱礼の剣が蒼仁の槍を切り落とした。
しまった、と朱礼はたじろぎ、公子を見上げた。
「おやおや、あなたがたの相手は私ではありませんでしたか?」
切っ先を失った槍を、蒼仁が構えなおす、型が変わったのは、棒術に切り替えた為か。二打目を狙うように足を前に出して、跳躍に備え、身を手前にひいている。
「公子、いまだ我らとお帰りになる気にはなられぬか」
「……蒼仁、今の劣勢でその問いはないと思うぞ」
朱礼が苦笑しながら蒼仁の句をさえぎる。
「黙れ朱礼、私は公子に尋ねておるのだ」
油屋の楼閣、瓦屋根の足場は悪く、蒼仁達の劣勢はあきらかであった。ハクは高みにおり、そして、足場である楼閣を熟知している。地の利、そして身のこなしにおいて、二人に勝機はないであろう。
「否……と、申し上げましたでしょう? それとも……」
刹那、再びハクの身が空を舞い、蒼仁の背後をとり、そして。
「主命、その身をもってあがなわれるか」
ハクの手刀が、蒼仁の頚動脈を捕らえた。
「それが我が役目なれば」
すう、と一息すいこむと、蒼仁は槍を落とし、瞳を閉じた。
「我が命をもって公子のお戻りがかなうのであれば、惜しいものではございません、お好きに」
その蒼仁の潔さに、ハクは一瞬たじろいだ。
「朱礼!」
蒼仁の言葉に、朱礼が双剣の一つを放り投げる。しまった、とハクは一撃に身構えたが、蒼仁は手にした剣を自身の腹につき立てた。
「陸のやりように従いましょう、人は、こうしてその決意を示すと申します、我が胸中、ご覧じませ」
そして、思い切り良く切っ先を横へ……、鮮血がほとばしり、ハクの白い衣を紅に染めた。
「何を!」
「お戻りくださいませ……、公子」
失血に、蒼仁の体躯が均衡を失い、よろける。ハクは蒼仁を支えるように腕を差し伸べた。
「ご無理をなさる」
「……っ、性分ですので」
弱く微笑んで蒼仁は喀血し、意識を失った。
「貴方様のお連れはいつもこうなのか、これでは命がいくつあってもたりますまい」
あきれてハクが朱礼を見ると、既に戦意を失った朱礼が一本になった剣を鞘に収め、ハクの問いに答えた。
「そうですね、もう三度ほど死線をさまよっております……、戻って来なかった事はありませんでしたが」
そして、朱礼は方膝をつき、頭を垂れた。
「蒼仁の意気を……どうぞお察しくださいませ」
「それがあなた方のいつものやり口ですか……、ともかく、こちらの御仁をまずは黄泉路より戻さねばなりますまい、お客様でなければこのまま捨て置きたいところですが、逗留中は油屋の賓客、躯(ムクロ)となってお帰りいただくわけにもいきません」
剛健な蒼仁を軽々と肩に乗せ、ハクはひらりと飛び降りた。
「……お客様、ね」
『お客様』をここまで翻弄するものか、たいがい、いい性格だな、あの公子も。と、声には出さずにつぶやくと、朱礼もハク達を追って楼閣をあとにした。