黒のハクに備え、千尋とリンは百道家に逗留する事になったのだが…。
「おかしいなあ…。」
家に外泊の電話をする為(もちろん友人には口裏を合わせるよう連絡済みだった)自宅に電話した千尋だったが、いっこうに出る者がいない。外出の際留守番電話に切り替えたのは千尋だったし、応答が無いという事は既に留守禄機能は解除されている筈だ。にもかかわらず…。
繰り返される呼び出し音。
受話器を置く。
嫌な、予感がした。
闇の中を、バイクが一台走っていく。KawasakiZZR-250。一見400ccにも見えるが、排気量は250ccだ。加速こそさほどではないが、シート構成が長距離走行に向いた、安定感のあるバイクだ。ジュピターグレーの車体がいっそう闇に溶ける。
乗っているのはハクと千尋だった。
とにかく、一度家の様子を見たい。と、言い出したのは千尋で、夜も遅く、一人で帰すわけにはいかない。と、ハクが送って行くことになったのだ。
千尋は、バイクに乗るのはもちろん初めてで、どうしていいかわからなかったのだが…。
「膝を閉めて、手は僕の肩に。…あんまりしがみつくと、かえって運転しづらくなるんで…。大丈夫?」
「あ、は、はいっ。大丈夫…です。」
漫画だと、タンデムの場合後ろに乗ってる子というのは、腰のあたりに手を回すものだと思っていたので、少々面食らいながら、
「スピードはそんなに出さないけど、もし怖かったら肩をたたいてね。」
そう、笑顔で言ってもらえて安心した。
私のことを、忘れている、どこか他人行儀なハク。私のことを、覚えているけど、人の魂を喰う怖いハク。どっちもハクで…。ぶんぶんと、顔を振り、千尋はヘルメットをかぶった。
景色が流れていく。神社の裏門を出て、林道を抜けると、街が見えた。小さな町とはいえ、夜景はやはり美しい。
かつて、銭婆の家から戻る時、ハクの、白い竜の背に乗って空を飛んだことを思い出していた。あの時とは違う。広い背中。私は、ハクを忘れずにいたけれど、今こうしているこの人は私の事を覚えていないんだ。と思うと、むしょうに哀しかった。
もしかしたら、恋人だっているのかもしれない。私の知らない6年間。心地よいスピード感とはうらはらに、心はとても苦かった。
女の子を乗せるのは初めてだ…、とハクは少々緊張していた。肩に手を、というのも普段人を乗せる時はいつもそうしているだけで、胸の感触がどうこうとか、そういった他意は無い。…断じて。
驚くほど軽い。ギアチェンジの際に感じる抵抗感さえもが、軽い気がしていた。6年前、出会っていた、と、聞いた。どこか懐かしいと感じだのは、やはり出会っていたから。負傷した従兄弟、襲ってきた同じ顔の青年。雲水姿の女、リン、カオナシという筒に入った何だかわからないもの。困惑と混乱、正直、何が何だかわからない、ただ、この状況で、自身にかかる災厄よりも、何よりも、この少女を守りたい。と思った。今まで誰にも思ったことのない感覚。彼女の手の触れている肩が、何だか熱く感じられた。
千尋の家に着くと、まず、灯りがついているのを見てほっとした。両親が家にいるとなると、ハクはついていくわけにはいかない。玄関にバイクを止めて、玄関に入っていく千尋をちりあえず見送った。
が、
「きゃああああああ!!」
千尋の悲鳴に驚き、ハクは土足のまま家に入った。
ダイニングらしい引き戸にもたれかかるようにして千尋が震えている。
「どうしたんだ!」
千尋の肩をつかみ、顔を向けさせる。
「お、お父さんと、お母さんが…。」
千尋の指差した先、ダイニングからこちらを向くように、驚愕と苦痛の表情を浮かべたまま、千尋の両親らしい二人が、石になっていた。
震える千尋を、ハクが抱きしめる。
同じ顔、自分の魂を持つもの。何故ここまでできるのか。何の為に。
従兄弟を傷つけられ、今また少女の両親が。やり場のない怒りと憤りを感じながら、ハクは千尋を抱きしめ、落ち着かせるよう髪を撫ぜていた。