広々とした和室、中央にのべられた布団には、ついいましがた息を引き取った老婆。周りには哀しみにくれる家族がいた。既に、志摩子の命数はいくらも残ってはいなかった、永い年月の後悔はぬぐわれ、思い残す事のない、大往生であった。
役目を終えた老婆の体から、赤い着物の禿の少女が立ち上がる。うち沈む家族達を横目に、家を出ると、書院造りの庭園に、…天狗が立っていた。
「三郎…迎えに、来てくれたの?」
微笑んだ天狗が、少女の手をとると、黒い翼が開き、空に舞いあがった。
――――――暗転。
暗い部屋に、緋色の毛氈が映える。広い和室は闇に沈み、ぼんぼりの明かり幽かに。
打ち揃った雛壇、永の年月、不在であった女主人は戻った。
静まりかえった雛壇の上。かすかに人形達が微笑んだような…気が、した。
今の世までも、絶せぬ物は、恋といへる曲者、げに恋は曲者、くせものかんな、身はさらさらさら、さあら、さらさらに、恋こそ寝られね。
(謡曲・花月より)
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