蛇行した小川さやさやと、笹舟に乗った対の雛が流れていく。幾つも、幾つも。とりどりの色が、花のように小川を彩る。
やわらかな春の日差しと、生命の萌芽、さざめく子供たちの声は、希望に満ちた季節の到来を告げている。
そうした様を、一人の老女が窓辺から愛でていた。リクライニングチェアを揺らし、腕の中には古びた女雛がひとつ。ほつれた髪をやさしくすいて、しみじみと眺めた。
瞳に浮かぶのは、己の過去への哀惜か。
ふっ…。と、自嘲気味に微笑むと、老女は軋む体に鞭うつように立ち上がり、女雛を丁寧に風呂敷で包み、外出着に着替えた。
――――――暗転。
暗い部屋に、緋色の毛氈が映える。広い和室は闇に沈み、ぼんぼりの明かり幽かに。
その一揃いは、あるべき場所に女雛が無かった。すみずみまで行き届いた細工のひとつひとつが、名も無き名工の技の形を描き出す。恐らくは、至高の一品であるはずの、壇の女主人が惜しまれる。
対となる女雛の不在のためか、片割れの親王は憂いをおび、いっそう闇を深くする。
静まりかえった雛壇の上。ことり、ことり…。と、音がした。
壁紙提供:深紅の月夜様