「お断りします!」
上座に衣冠束帯の男が一人、左右に控える三人官女に矢大臣、そして布をはずし、がっくりとうなだれる五人囃子の姿があった。雅に焚きこめられた香の香りが漂う湯屋の一室。
さなか、ハクがきっぱりと言い放つ。庇うように千尋を背後に控えさせ、視線は射抜くように白磁の顔に向いていた。
「客の言う事が聞けぬか、ではあれを呼びやれ、ほら…何ともうしたか、ここの主人は」
苛立たしげに勺を振ると、官女の一人がぼそりと呟く。
「湯婆々にございます」
「そうじゃ、そうじゃ、湯婆々じゃ」
「同じ事です!」
ずい、と身を乗り出したハクの身が揺らぐ。先ほどから焚きこめられた香の香りが、甘く思考を絡めとる。
「な…」
肩膝を着いて、かろうじて体を起こそうとする、必死に千尋を背後に庇いながら、ハクの体から、みるみる力が抜けていく。
「何を…っ」
「ようやく効き目が現れたようじゃのう」
いつの間にか、楽の音が部屋中に鳴り響いていた。鼓、笙、太鼓の音。
いけない…千尋を…守らなければ…。必死で支えようとする体が揺らいだ。微笑む、同じ顔の官女、高く澄んだ笑い声。
「さあ、その娘をこちらへ…」と、言いかけて、主は仰天した。
「娘…!そなた、何ともないのか?!」
倒れたハクを今度は逆に庇うように、千尋がずい、と進み出でる。
「…わかりません、私にも、…ですが、ハクが倒れたのはこの香のせいなんですね」
「ええい!早う!その娘を取り押さえよ!」
主の言葉に、矢大臣二人が千尋を取り押さえようとした、その時、千尋の体が金色に包まれた。その光は、千尋自身が発しているようで、揺らいだ熱気が、かすかに髪を逆立てていた。ばちっ!と、大きな音を立てて、矢大臣二人がはじき飛ばされた。
「ヒィィっ!…そなた、ただの人ではないな!」
「私は、ただの人です。…ですが、今は、母親です、この子の」
圧倒する、確かな母としての気迫が、そこにはあった。
「お話は聞きました、皆さんには同情します、…でも、私と、私の子と、私の愛しい人に害を成そうとなさるのなら、私は力を持ってお答えしなくてはなりません」
鮮やかにして、美しい、命の輝き、人形には…無い。
「御屋形様!」
一斉に、今度は官女が、童子達が、庇うように主を囲む。恐怖に打ち震えるながらも、必死に主を庇おうとする様を見て、流石に千尋も毒気を抜かれてしまった。
「…私の、子に、宿られるのは困ります。ですが、お話はわかりました。女雛様を探したいというのなら、できる限り、お力にはなりますから」
「おおっ!力になってくれるか!」
「ありがたきことにござりまする」
先ほどまで恐怖に打ち震えていたのはどうしたのか。さっきないたカラスがもう笑った、といった態で、微笑みあう人形の精霊達に、千尋はあきれながら溜息をついていた。
いつの間にか、体調は回復しているようだった。
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