水妖妃(4)


 意識が、消えていこうとしているのを、ハクは感じていた。覚えのある感覚。遠い、それは遠い過去。川にある、ずっとずっと前。ゆらゆらと、たゆたう水の流れに身を委ねて、体ごと、溶け込んでいくような感覚。

 明滅する、たいまつの明かりと、歪み、笑う、赤い隈取と、少女の…顔。

 何をしているんだろう。自分は。守ると約束したのに。

「…ク、…ハクっ!!」

 叫ぶ少女の声が、消えかかった意識を呼び戻す。その形は既に霧散し、消え入りそうな、龍神の…。

「こっちだ!こちらへ!!」

 叫ぶ声は、自分と…同じ!

 とたんに、消え入りそうだった意識がはっきりした。

 視線の先の空間が歪んだかと思うと、水流がほとばしり、中から千尋と、もう一人のハクが姿を表したのだった。

 そして、千尋は見た。仮面の少年に連れられ、水を渡った先にいた、魔性と、消えかかった龍神を。横に並び立つ、ハクから、神々しいまでの輝きを感じる。光につつまれて、目がくらみ、閉じた瞳を再び開いた千尋は見た。

 長く伸びた髪が肩にかかり、いっそう鮮やかな翡翠の相貌を。

「…ハク…?」

 体からほとばしる光が渦となって、髪を舞い上がらせる。漆黒の髪がなびき、額におちかかった前髪の隙間から除く瞳は、かつてであれば日光に透けてわずかに緑の光彩を放つ程度であったものが、まるで瞳そのものが宝石のように鮮やかに、千尋の姿を映し出す。

「あまり、長くは持たない、…僕も、自分の意識を保つのが精一杯だからね」

『修行が足りんな、精神力が足りぬのだ、そもそもお前は』

 それは、傍目で見ると滑稽でもあった。体はひとつ、声も、…同じ。だが、確かにわかる、異なる人格がそれぞれに口を利いている。

「もしかして…」

 あっけにとられる千尋に向かって、融合した、元は一人であった白と黒のハクはそれぞれに話す。

「手っ取り早く、…まさかこんな簡単にいくとは思わなかったけど。このままだと、彼は消えてしまうからね」

『素直に自分一人では千尋を守りきれぬ、と言ったらどうだ…っと、あまり説明している時間はなさそうだ』

 水妖妃へ向き直る。

『どうだ、この器は?』

「…ええい!今一歩というところで!」

 水妖妃は、眼前に現れた力にたじろいだが、すぐにまた体制を整え、両の手のひらで力を練る。

「…状況が、わからないんだけど、今はとにかく、君にまかせようか」

『言うまでも無い!』

 ハクは、軽く飛翔する、その跳躍力に、当の本人達が驚いているようだった。

 まあ、体の鍛錬は怠っておらぬようだな、と思いながら、ハクが水妖妃に詰め寄った。その腕が、水妖妃の白い喉を掴む。

『さあ、お前の目的を言え、何の為に、この世にとどまる、そして、どうして私と千尋の前に現れた!』

「ぐ…ァ…」

 体ごと持ち上げられ、水妖妃がうめいた。

「やめて!ダメーーーッ!!」

 いつの間にか、意識を取り戻した理沙が、よろめきながら半身を起こしていた。

「理沙!」

 あわてて千尋が駆け寄る。

「ソレは…その姿は、お母さんなの、お願い、傷つけないで…」

 理沙の言葉に、一瞬ハクの腕が緩んだ。すかさず水妖妃は身を翻し、千尋の横に立つ仮面の少年を一瞥すると、着物の袖を翻した。深い藍を写し取った模様は、水竜巻となって、水妖妃の姿を隠し、…そして、消えた。

 理沙の家は、何事も無かったかのように、静まりかえった…。

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