水妖妃(1)


 祖父の葬式の時の事だから、小学校4年生くらいだったと思う。夏の終わりで、蝉時雨が響く菩提寺の境内の、池の傍に、女の人が一人立っていた。髪を、一本の三つ編みにして、病的に白い肌に幾すじかの黒髪がかかる。竹久夢二の美人画に出てくるような着物を着たその女性の、薄紫と臙脂の着物に、池に群生する彼岸花が、まるで着物の柄のようで、そこだけ空間を切り取って、別の世界への窓が開いているような錯覚に陥った。

 私が、じっと見つめると、女の人は私の視線に気づいたように、表情を崩した。それは、家の居間の壁にかけてあった能面にとてもよく似ていた。

 その時は、なんとも思わなかったのに、その夜私はひどい熱を出した。朦朧とした意識の向こうで、葬式の疲れだ、と母が言っているのが聞こえる。夢の中で、居間に置いてあるはずの能面が、ぐるぐると回りつづけていた。不可解な恐ろしさに、身をすくめると、母の手が、ひんやりと額に触れた。撫でさする母の手の心地よさに、私はゆっくりと、悪夢から解放されていくような感覚を受けた。かすかに、母の歌う声が聞こえてくる。歌声は、幼い頃聞いた子守唄のようで、初めて聞く異国の言葉のようで、ただ、その音韻に酔うように、ゆっくりゆっくり、眠りの淵に落ちていった…。

 そんな変な夢にうなされて、父にせがんで居間の能面は取り除いてもらった。どこかにしまわれたのかと思っていたが、ついこの間、叔父の家の客間にあるのを見つけて、当時の事を思い出し、少し、嫌な気分になった。

 そこで初めて、その能面の名前を、聞いた。「泥眼」…それが、その面の名だった。

NEXT>>
TOP>>