三人目の魔女


 東京に限らず、アジアの大きな都市というのは、不思議に過去と現在と未来が同居していて違和感が無い。高層ビルの近未来的なたたずまいと(それとて、過去の高度成長の泡沫に過ぎないともいえるのだが)、かつて江戸であった町並み、昭和であった町並みが厳然と、色褪せながらもないまぜになって存在している。

 「それ」は、そうした過去の世界に属すると思わしき街角の一角にあった。

 サッシではない、強風により、簡単に悲鳴をあげるガラス戸のむこうに、かつては白かったであろうカーテンが日に焼け、黄ばんでしまっている。カーテンの隙間は、外の日差しが明るければ明るいだけ、拒むように闇を深くする。無人の廃墟かとも思えたが、日が暮れると、ほのかに明かりがともる。だからといって、堅牢とは縁遠いガラス戸にもかかわらず、それが開く事は無い。「海月堂」と書かれたいかにも重そうな木の看板が、かわら屋根にかかっている様は、骨董品屋や格式ばった商店に見えなくはなかったが、そうした状況により、営業しているかどうかは甚だ疑問であった。その、奇妙なはずの店に、さらに不可解な張り紙が貼られたのはつい最近の事。

「いんたーねっと始めました」

…古ぼけた和紙に、それは墨で書かれていた。

 『いんたーねっと』とは、やはりあの、

『アメリカ国防省の高等研究計画局の支援を受けたアルパネット(arpanet)から発展した地球規模のネットワーク。通信回線を介して,世界各地の個人や組織のコンピューターがつながっている。たんにネットともいう。(新辞林より)』

の事だろうか。漠然と唐沢祐介(からさわ・ゆうすけ)は思った。難関であるはずの公務員試験をパスし、一応都庁勤務のエリート…のはずだが、実際の仕事はキツイ、キタナイ、キケンの3Kで、冗談ではなく、3回ほど九死に一生を得ている。今日も今日とて龍のデータ照会のため職場に泊り込んだ翌日(しかも成果はかんばしくはなかった)、半休をとっての昼、アパートへの帰途上、いつもはさして気にとめないその店の張り紙に惹かれて目をやった。
 こころなしか、カーテンの隙間もいつもより開いているような気もする。

 そして、わずだがカーテンが揺れたような気がした。すぐにでも部屋へ戻ってシャワーを浴びたい気分だったが、好奇心から足を止めてしばし様子をうかがうと、驚くべきことに、ガラス戸が開き、中から人が出てきた。

 濃紺・細身のジーンズにぴったりとした白のTシャツ、深い藍色のエプロンにはオレンジの文字で丸の中に「油」と染めてある。長い髪を後ろでひとつに束ね、年の頃は十八くらいか、二十歳をいくらか越したくらいだろう、このあたりでは見かけたことの無い。ありていに言えば美人だった。シンプルな格好だが、それだけに際立つ体のラインの自己主張はなかなかのもの。祐介好みの言い方をするならば巨乳の気の強そうな美人が、ほうきを持ってそこにいた。

「こんにちは」

 にこやかに言われて、祐介もあわてて微笑みを返した。

「あ…こんにちは」

 笑いかけてきた美人の前で、笑顔になれないヘテロ嗜好の男がいたら、意識的に自分を律しているのか、虚勢をはっているかのどちらかだ。と、祐介は思う。

 社交辞令の挨拶をすませると、その美女は黙って店頭の掃き掃除を始めた。いくらなんでもその様を呆然と眺めているわけにはいかず、名残惜しそうに、しかし、「ラッキー♪」と思いながら、足取りも軽く、祐介はアパートに戻った。そのうち店に入る機会を設けよう。あんな看板娘がいるのなら是非お近づきになりたい。「いんたーねっと」はじめました、とあるからには、昨今流行のネットカフェのたぐいかもしれない。であればなおさら、「パソコンが趣味」と公言してはばからない祐介である。

 疲労困憊、垂直落下の眠りの中で、夢想する。

 たとえば、タチの悪い客に因縁をつけられている彼女がいて、(フリーメールのアカウントがとれない、とかなんとか)それを、こう横槍をいれてささっと問題解決をする。

「ありがとうございます」とかなんとか微笑む彼女。
「私、パソコンあまり詳しくなくて…、よかったら教えてもらえませんか?」

 とかなんとか、とかなんとか。

 女性だから、というだけで、安易にパソコンに詳しくないだろうという決め付けぶりも甚だしい。しかも「いんたーねっと始めました」と書いてあるだけで、別にネットカフェという確証もないままに、祐介は手前勝手な夢を見ていた。

NEXT>>
TOP>>