火鬼子(4)


 変化は、その日の深夜に起こった。目に見えて増えていく文字列、処理限界を超えたプログラムが、外部からのアクセスを拒絶する。塗り替えられていく、無意味な文字の羅列、羅列羅列。悪意を持った言葉の群れが、無意味な言葉で置き換えられて行く。

 「彼」は眠らずに、パソコンに張り付いていたので、それを目の当たりにした。処理を止めようと、外部にあるサーバーにアクセスしようと、ソフトを立ち上げたが、ログインは拒絶された。サーバーが混雑しているのか、はたまた、『何者かの手によってパスワードが改竄されているか』
 「彼」は、真っ先に後者と決め付ける。自分は注目されている、悪意を向けられている、しかも理不尽に。

 「彼」自身は、ごく平凡な男であった。友人がいなかったわけでもなく、孤独な幼児期を過ごしたわけでもない。しかし、人から注目されたり、尊敬されたりする事は無かった。一時の、たとえば学生時代は友人で過ごした皆も、卒業し、忘れ去られていく。彼自身も、そうした友人を忘れていったし、新しく移った場所場所で、また「友人」を見つければいいだけだった。アルバムを見返して、初めてその存在を確かめる、その程度の友人だけはたくさんいる、ごくごく地味な男であった。

 そんな「彼」が、その仮想空間では歓待の声をもって迎えられるのだ。仕事の必要性で作ったホームページではあったが、ニッチにあったそのコンテンツを受け入れる者は多く、「彼」は閲覧者の望みのままに書き続け、カウンターは跳ね上がり、多くの者が「彼」を尊敬し、賞賛した。
 かつて無かった居心地のよさに「彼」はおぼれた。

 そして、錯覚する。

 真実、自身がいる場所はここであると。

 妬みさえも心地良く、「彼」はその仮想空間で、現実世界にはとうていできないように、他者を罵倒し、論破する。

 だが、それを阻む者がいる。

「あいつらだ」

 何の根拠も持たずに「彼」は思った。あいつら、とは、先日訪問したネットカフェを称するにはいささか貧弱な設備の古びた喫茶店だった。女がいた、スタイルはいいが頭の悪そうな女だった。そして男がいた。ひょうひょうとして、掴みどころの無さそうな男だった。

 特に根拠は無い、そして証拠も無い。だが、彼は確信する。耳元で、誰かの声がした。

「ソウダヨ」

「俺を妬んで…こいつら」

「ナントカシナクチャ」

「罰を与えなくてはいけない」

「ダイジョウブ、キミナラデキルヨ…」

 既に常軌を踏み外しかけた「彼」は、簡単に道を踏み外す。

「行かなくては…」

 夜明けを待たずに、「彼」は自分の部屋を出る。

 明け烏が、再び、鳴いた。

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