火鬼子(4)


 集団心理というものは、多く人を残酷にさせる。思考の放棄、「自分だけではない」という安心感が引き起こす錯覚。暴走する意識。
 …そうして、その暴力によって蹂躙された個人の躯を踏みしだき、新たなる標的を次々と見つけてはそれを叩きのめしてゆく。しかし、集団の内にいる時は誰も気づかない。いつ、何時、集団の内のひとつが、集団を離れ、個に戻り、いつしか自分の安心できる場所のはずだった集団が自身を新たなる標的とみなす可能性に。孤立無援になったところで、もはや時はすでに遅く、無意識の怪物は、次々と個を破壊していくのだ。

「まあ、あれだよなあ、日本人は特にこうした件にはセンシティブだからなあ」

 キャスター付の椅子で、背もたれを抱え込むようにして座っている青年が、キュルキュルと音をたてながら机に近づき、モニターを覗き込みながら言った。

「それにしてもこれはひどくないですか?」

 青年に向かっているのはハクだ。マウスを操り画面を切り替えながら、従兄弟、というか、兄のような存在の青年…真人に向かって言う。

「こいつらには、モニターの向こうにいるのが、血の通った人間である、って意識がまだないんだろうな。コンピューター相手だから、いくらでも傷つけることができるし、自分が傷つくのと同じロジックで人が傷つくのを知らない。そして、ワールドワイドに情報公開している意識も無いから、自分のテリトリー内で不可解な行動をとられるとオタついて、すべてを『ケガレ』として処理しようとする。言霊の信仰いまだ根強く…、ってトコか、言葉にされて罵倒されて、根拠がなければ聞き流しとけばいいことにもムキになってくってかかる。モニターの向こうにいる人間に、まっとうな思考力、人格を期待してたら、まず無理だろうな。自分と他人のボーダーさえもあいまい…、まあ、こんなのよくある話ではあるけどさ」

 一度机に近づき、床を蹴ってキャスターの向くままに椅子をあそばせながら、くるくると回ると、ぴたり、と止まり、真人は続けた。

「だから、お前も気にすんな、ってコト。その管理人って奴は一応直接クレームを言いにいく、ってコトで動いている。それを境に自分である程度達成感を持っているみたいだし?ほっとけばいいのさ、人は人。頭の悪い奴には言わせとけって、…だいたい、言っちゃなんだがこの程度のサイトで多少取りざたされたとこで、その店の直接的な不利益にはならないし?もし、本当に営業妨害に達しそうになったら、その時は、それこそそこのログでもとっといて、警察でもどこでも出るトコでればいいのさ」

 真人は立ち上がり、キッチンへ向かう。冷蔵庫から350mlの缶ビールを取り出して、グラスも出さずに、プルトップをあけると、のどを鳴らしてごくごくと飲んだ。ビール片手に再び椅子へ戻ると、今度は背もたれによりかかりながら足を組み、ハクの方へ向きながら言う。

「ひどい、と思うなら見なきゃいいんだよ、まあ、さっきログはとっとけ、とは言ったけどな。不愉快なモンも、愉快なモンも、玉石混合なのがインターネットだ。そこで取り合っちまったら、おまえもそいつらと同類だぞ…」

 なあ、何かつまむもんなかったっけ、と、いう真人の言葉に、ハクは立ち上がって真人と入れ違いでキッチンに行き、冷蔵庫を物色して、材料を吟味すると、包丁を取り出して何か作り始めた。オープンキッチンになっている為、会話を継続することに問題は無い。

「ま、遅かれ早かれ、こいつらもそれなりにイタい目は見るだろうな…」

「…なぜ、そんな事が?」

 アスパラのハカマを取っていた包丁の手を止めて、ハクが聞き返した。

「えてして、こういうやからは各方面から恨みを買いやすいのさ、潜在していたものが、一人の荒らしによって顕在化する、ってのも、よくあるハナシだからな、さっき、モニターの向こうに人がいるって自覚がない、って言ったろ?そう思ってるやつら同士が争ったら…どうなると思う?」

 ハクは答えず、フライパンを火にかけた。豆蕃醤と、豚肉、マイタケ、アスパラを炒めはじめると、フロアに香ばしい香りが漂う。

「まあ、でもおもしろそうなトコ、教えてもらえてよかったよ」

「…それはちょっと不謹慎なんじゃないですか?第一悪趣味ですよ」

 あまり盛り付けにはこだわらず、ざっと皿に盛った炒めモノを持って、新しく出してきた缶ビールと一緒にトレイごと机の上に置くと、真人は続けて二本目に手をつけた。

「無関係な他人同士のいさかい、ってのは、ハタ目で見てておもしろいもんさ」

 まさしく無責任におもしろがっている様子の真人に眉をしかめながら、ハクは再び例のサイトに視線を落とした。極彩色のインデックスでいくつものマーキーが速度差をつけてスクロールしていた。

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