逢魔の刻〜神隠し〜(20)

「また、どこかで会える?」

「ウン、きっと」

「さあ、行きな、振り向かないで」


 夏の日の約束、去っていった少女、いつまでも、いつまでも、去って行くその姿を見つめていた、青い空。

「元の世界へ戻りたいって?」

「私は、真実の名を取り戻しました」

「そいつあ、また、随分と都合のいい話だねえ」

 薄闇での取引、再び千尋に会えるなら、元の世界へ戻れるならば、どんな条件でも飲めると思った、闇の夜。

 残された、神としての力と記憶、去って行く、体、少年の姿のままに、元の世界へかけて行く、

「では私は?」

 ニギハヤミコハクヌシ、神としての、真実の名と姿は、封じ込まれ、力だけが利用されていく、望んだ筈の結末だった。去っていった「私」は元の世界へ戻れたろうか、千尋に再び会えたのだろうか。

「では私は?」

 利用されるだけの力、欲するままに働いている神としての自分。ようやく気づいた、何も変わってはいないのだ。

「会いたい」

「それが契約だ」

「会いたい」

「神としてのお前は、元の世界では生きられない、よりどころを失った精霊は、過剰な力を維持できない」

「会いたい」

「不可能だ」

 制御のきかない感情と記憶が溢れる、私は…神なのだから。

 思った通りに事は運んだ。元の世界にいる事が適わぬ身なら、千尋をこちらへ連れてくればいい。

 歳を経て、歪んでしまった恋心を、正せる者は、いなかった。

 それでも、湯婆々達の命を奪わず、追放にとどめたのは、最後の理性だったのかもしれない。

 千尋が、泣いている。泣かせるつもりはなかった。ただ、側にいたくて、愛しくて、他に術は無く、そして、同じ顔をして、側にいる自分自身にも、ひどく腹がたった。何の為に、我が身を犠牲にしたのかと、今、揃って、二人が見下ろしている、私の顔を、竜の姿を。

「ハク!!ハク!しっかりして!」

 ああ…、これは、それでは夢では無かったのか。

「千尋…?ケガは無いか?」

「どうして、どうしてこんなっっ…」

 涙で顔をくしゃくしゃにして、叫ぶ。

「どうして泣く?助かったのではないのか?」

 そして、不本意ながらも、半透明な体を困惑して見つめる、我が体が、私の本意では無い言葉を話す。

「僕が、竜になれなかったから…、思い出した、やはり君は、僕だ」

「僕を逃がしたせいで、君は、いや、僕の記憶と、力は…」

 魂が触れ合った為か、流れ込んできた、過去の記憶を取り戻したようだ。

「黙れ…そなたの為では無い、千尋の…っ痛ッ…」

 力が、急速に失われていくのがわかる。元々、不自然に残ってしまった力だった、よりどころを無くし、あるべき場所へ戻ろうとしている。

 チリ…ン。

 千尋のジャージのポケットから、ハンカチに包まれた鈴が落ちる。

「ああ…、持っていて…くれたのだな」

 静かに笑うと、竜は、人の姿をとった。それは、恐らく、最後の力だった。

「私の意識が消えたら、千尋の両親も、奪った魂も、元へ戻る。誰…一人、死んでは、いないから」

 天井を仰ぎ見て、一度、千尋の方を見て、ハクが笑う。

 あの頃の、ハクの笑顔だった。

 おにぎりを作ってくれて、大丈夫だと、言ってくれたあの時の。

「嫌ああああっ!!」

 泣き崩れて、千尋がハクの身を抱こうとしたその時、ハクの体は無数の輝く蝶となり、楼閣の窓から、彼方の空へと消えていった。

 楼閣には、千尋と、人の身となったハクだけが、残された。

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