■ハク様の長い長い一日■

3)油屋再び

「……で?その子をうちで雇えってかい?」

湯婆婆の執務室で、湯婆婆は千尋を嘗め回すように見つめている。
千尋の方は、ハクから事前に話しを聞いていたとはいえ、湯婆婆の風貌に面食らっていた。

「どっ……かで見た覚えのある子だねぇ……」

「あー、あー、湯婆婆様、今日は貸切、まさに猫の手も借りたいところです、正式に契約を結ぶのでは無く、数日様子見で私に預けてはいただけませんでしょうか?」

湯婆婆が何かを思いつく前に押し切ってしまおうとしているハクは、考える隙を与えずに畳み掛けるように言う。

「何言ってんだい、今日は貸切だからこそ、帳場の方は暇だろう?あんただって今日は仕出の方に回ってもらう予定なんだから、あんたの手下にもう一人ってのはおかしいんじゃないかい?」

ぐ……するどい。
ハクは一瞬言葉に詰まった。
今日は湯屋全室貸切につき、食事の提供だけでもおおわらわなのだ。
全ての宴会場に膳をしつらえ、なおかつ円滑に酌婦の手配などをしなくてはならない。支払いはまとめて行なわれる為、帳場の仕事は実は少ないのだ。
しかし、ここで口を挟まなくては、間違いなく千尋は酌婦の一人にまわされてしまうだろう。
春をひさぐ立場では無いが、酔客相手の事、何が起こるかわかったものではない。

「ああ、あんた女装おしよ、で、その子を連れて一緒に舞ったらいいだろう、前の装束は中々に評判良かったじゃないか」

からからと笑いながら湯婆婆が言う。
ハクは今よりもう少し風貌に幼さが残っている頃、舞姫をやった事がある。
従業員が集団で風邪をひき、やむを得ずの事ではあったが、その美しさは今だに語り草として伝えられている。

「それはずえぇっっっっっったいにイヤです、というか、今の私ではいかつくて見苦しいだけでしょう」

事実ハクはその頃に比べて背丈も伸び、肩幅もしっかりとある。
整った顔かたちではあるが、とても女には見えない。

「じゃあその娘にやらせたらいい」

ハメられた!
この狸婆め……、繰り返し内心で歯軋りをしながら、ハクは決断を迫られる。
千尋を舞姫か酌婦として出すか、己が女装して千尋と共に舞うかという選択だ。
しかし、千尋一人を酌婦や舞姫にするよりむしろその方が安全といえば安全か。
共に動けば何かとかばう事は可能だ。
とにかく今日1日をやり過ごせば、油屋に暇乞いを出すこともできるだろう。
……事後承諾で。
数秒で考えを巡らせ、ハクは答えた。

「……わ、かり、ました……」

うつむき、心から悔しそうに声を絞り出すハクを実ながら、湯婆婆は意地の悪い笑みを浮かべている。

「では、こちらの契約書に……」

料紙を取り出そうとしたところで、ハクが制した。

「いえ、今回は短期ですし、そこまでする事はございません、研修という事で……それに湯婆婆様、契約書を交わしてしまえば賃金が発生してしまいますよ?」

今度はハクの勝ちだった。
ハクとしては、湯婆婆と千尋に契約を交わされては困るのだ。
もちろん正式に契約書を交わさなくても賃金は発生するのだが、嘘も方便。(ハクにとって非常に都合のいい解釈ではあるが)
千尋の名を再び奪わせるわけにはいかないのだった。

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